おりしも脳死患者の臓器移植が各地で行われた。関係者のこれまでの労苦は大変なものであったと考えるが、これを契機に当たり前の事が当たり前に行われる一つの大きなepochとなることは疑いないと思われる。 私がアメリカにいたときに偶然テレビで交通事故のために亡くなり脳死となり、その心臓が移植された若い女性の親がインタビューに答えて”自分の子供が亡くなったのは悲しいが、彼女の心臓はrecipientの身体のなかで今も動き続けている。 従って彼女は今も生き続けて、人のために役立っていることを誇りに思う”と言っているのを聞いて本当に感激した。
この脳死患者の臓器移植問題にしても、東大紛争のきっかけとなった事件の一つであった、てんかん患者に対するForel H tomy後のtroubleも正常な手続きを踏まえた正しい治療が最初に行われていれば、あれほどまでに事態が紛糾する事は無かったのでは無かろうか? この事件をきっかけとして日本の定位脳手術の発展は大変遅れた事と、脳神経外科医に対する内科サイドの不信感が芽生えたとしたら大変残念な事であった。
本特集では機能的脳神経外科ーー最近の進歩がまとめられている。
機能的脳神経外科とは聞きなれない方も多いと思うが、中枢・末梢神経系の機能が障害されている疾患に対して神経外科的処置により患者さんの神経機能を高めて少しでもQOLを改善しようとする脳神経外科の一つの分野である。
あの東大紛争以来この機能的脳神経外科は不当な弾圧を受け、日本におけるこの分野での進歩が著しく阻害された。 思えば脳死移植が不当な偏見を持って今日まで先進諸国に比べて遅れを取ったことと相似している。
私は東大紛争の最中警察病院に勤務する事になり、そこで石島武一先生に師事し定位脳手術あるいは機能的脳神経外科の手ほどきを受けた。 その後フランスに留学する機会を与えられ、Talairach教授にてんかんの外科の手ほどきを受けた。 その後縁あって鳥取大学に行き、一般脳外科手術に従事するうちに世の中も徐々に変革を遂げ、機能的脳神経外科も再興の兆しを現在見せつつある。 考えてみれば脳神経外科医が機能を重視するのは当然の事であるから、わざわざ機能的脳神経外科と名づける必要も無いようにも思われる。即ち現在の進歩した脳外科では、すべての脳外科手術はある意味で機能的外科である。
しかし本特集にあるようにやはり、難治性疼痛や不随意運動、痙縮、難治性てんかんなどの治療はある特定の専門家が行うべきである。 何故ならば一歩間違えば機能を良くする積りの手術後却って逆に患者さんの機能が悪くなっては取り返しがつかないからである。
難治性疼痛は特に麻酔科、神経内科などとの境界領域であり、また生化学的、薬理学的、生理学的知識や素養が必要な分野である。 我々神経の外科を行っているものにとって痛みというものは患者さんの訴えが主であり、客観的なevaluationができにくい分野であるが故に一歩間違えば患者さんを自殺などの死に追いやる事にもつながる。 私が警察病院で学んだ事の一つは、絶対に難治性疼痛に悩む患者さんに治療をするときに、これが最後の治療だと言わないことであった。
最近この分野でも新しい知見がどんどん解明されてきており、またいろいろな治療手段も開発されてきている。 中でも治療が困難であった、deafferented painやcentral painなどの治療法が種々開発され、特に日本大学の坪川・片山らが開発した運動野刺激療法は日本で開発された新しい治療法として世界でも注目を浴びている。 従来から機能的脳外科は中枢神経系の破壊を主な治療手段として用いてきたが、この治療法のように刺激療法が有効である事が、最近の機能的脳神経外科の再興の兆しの一因ではないかと考えられる。 しかし一方cancer pain, phantom limb painやdeafferented painに有効なdorsal root entry zoneの切載術などはやはり解剖学・生理学的知見を利用した破壊手術であることは間違い無い。 刺激療法はそれをやめれば良いが、破壊治療は一旦これを行ってしまうと、後戻りは不可能であり、その実施にあたっては充分過ぎるほどの注意と臨床経験が必要となる。 けだし本当の意味での専門的知識と経験が必須である。 また次の項目に有るような移植外科も今後の大きな課題であろう。
不随意運動の外科も最近大きな変革を遂げつつあり、その中心は破壊ではなく、刺激になりつつある。 刺激中はゴルフまで可能となるが、刺激を止めると歩く事さえできなくなる実例をみると、びっくりすることさえある。より非侵襲的な経頭蓋磁気刺激なども不随意運動だけでなくあらゆる分野で重要な治療法となるものと思われる。 痙性斜頚などの病態は依然として不明である。 現在薬剤の使用やBottoxなどの使用も盛んに試みられているが、効果の持続性等の点で末梢レベルでの神経遮断術に現在では軍杯が挙がる様である。
痙縮の治療に関しては、日本の現状は大変欧米に比して遅れているといわざるを得ない、選択的後根遮断術や末梢神経縮小術は欧米では当たり前のように行われているが、日本では殆ど現在までに行われていなかった。 バクロフェン髄腔内注入法も現在やっとある製薬会社が興味を示しているが、導入にはまだまだ程遠い現状である。何故、このような後進国となってしまったのか? 理解に苦しむが厚生省はじめ、文部省などもこのような治療法に対してもっと多額の研究費を支出すべきである。
てんかんの外科治療に関しても、前述のForel H-tomyに影響されたのか、欧米に遅れている現状は眼を覆いたくなるほどであった。 私が27年前にパリに留学した時経験した自然発作のビデオモニタリングがやっと日本でも導入され始めたが、一般の医師達のてんかん外科に対する認識は大変低いといわざるを得ない。 欧米では神経内科医を中心とした内科サイドがむしろ手術施行の牽引車的役割を担っており、私が留学していたパリでも手術を主張する脳波学者Bancaud教授をむしろTalairach教授が抑え役に回っていた事を思い出す。
最近東京女子医科大学小児科から難治性てんかんとして送られる患者の手術ではびっくりするほどの病変が海馬・扁桃体・鈎などに浸潤しておりいくら抗けいれん剤を飲ましても効果がなかったのもうなずける症例もあるが、発作が薬剤でコントロールされても内側側頭葉に腫瘍が浸潤しており、早晩難治性となると思われ、早期に手術して良かったと思われる症例もある。 願わくばこのようなlesional epilepsyだけでなく、nonlesionalの症例も内科サイドの信用を得て手術例が増えるように希望している。迷走神経刺激や遮断てんかん外科など新しい分野が最近開けつつあり、難治性てんかんに対する治療法として薬剤だけでなく、外科治療も是非考慮していただけることを一般医家の方たちにおねがいする次第である。
最後に定位脳手術は現在navigator neurosurgeryとして一般の脳外科手術に必須の技術となりつつあり、この方面の解説を是非理解していただければ幸いである。
以上現在の機能的脳神経外科の日本での現状が本特集でほぼ理解して戴けるものと期待している。
東京女子医大教授 脳神経センター脳神経外科学 堀 智勝