この学会の最中にあの忌まわしいニュウヨークのテロ事件が勃発した。 私の妻はテレビで初めは何かの映画のシーンでも放映しているかと思った程のすさまじい事件であった。 この事件と関係があるのかは不明であるが、学会開催中にテロ事件直後にアンセット航空というオーストラリアの航空会社が突然破産し、私の持っていた航空券は無効となってしまった。 なんとかしなければならなかったが、丁度このことが判明した日が私の早朝セミナーの発表と重なっており、結局カンタスで発売される航空券はすべて売り切れており、途方にくれてしまった。 教室の平君ほか2名のものも同じ運命にさらされたが、彼らは金曜日の夜行バスに乗ってシドニーへ行くということになった。なんと25時間かかるというので、私たち夫婦は取りあえず、果報は寝て待て、土曜日になんとかシドニーにたどりつく方法はないかと考えながら、汽車の時間表を見に、駅に行ってみた。 すると顔みしりの中国人二人が歩いてきたので、なにをしているのかを聴くと、かれらはレンタカーを借りて、明朝シドニーに行くとの事であった。 レンタカーはいいなと思い、では我々もレンタカーを借りてみようかと、彼らにどこで借りたのかなどど聞くと、レンタカーももう殆ど無いなどという。 そのうち結局彼ら二人と私たち夫婦の4人で一緒にシドニーまで行く話が纏まった。 翌朝彼らと車に乗ると、彼らはまずメルボルンに行き、友達と会うというので、仕方なくその日はメルボルンに行くこととなった。 メルボルンに着いたのは夜の7時を回っており、彼らと別れて今度は汽車で翌朝シドニー−まで行くこととなった。 結局日曜日の夜8時過ぎにシドニー−駅に到着したが、11+12=23時間の長旅となった。 月曜日にはまたmorning seminarが当たっており、まあ滑り込みセーフめでたしめでたしとの結末となったが、途中カンガルーが車の前を飛び跳ねたり、160キロのスピードで走っていたら覆面パトカーにつかまり、危うく監獄にぶち込まれそうになったが、結局人徳で許してもらったりとまことに波乱万丈の旅ではあった。 あんなにのんびりと12時間もかけてオーストラリアの殆ど同じ景色が続く大自然を満喫できたのがせめてもの救いであった。 シドニーでは自分の発表の他には教室の人の発表を聞いて回ったが、私が聞いたなかでは、Choux先生の頭蓋咽頭腫の発表などが印象に残った。 また前述のようにこの学会でも新しい事と言えば、やはり定位・機能治療の発展振りが目を引いた。 視床下部過誤腫に対する治療として半球間裂からの除去が良い成績をあげているとの報告も興味を引いた。 頭蓋底のセッションでは久しぶりに白馬先生がいろいろ質問したりして健在振りを示しておられた。総じてこの学会ではアメリカからの発表者は欠席が多い印象であったが、日本からの発表が多く、評価されていると思われた。 WFNSのdelegates meetingがこの学会中に開かれ、私の他に佐野・高倉・河瀬・橋本・小川・山田教授らが出席された。世界学会を2年に一回開催するという議題が提出され、決まりそうになった1幕もあったが、結局翌日の会議で(私は日本に帰ったので出席できなかった)否決され、従来どおり4年に1回と決まった。 日本人では小林教授・加藤助教授・河瀬教授がそれぞれ役員に選出されたのは先般の評議委員会で報告されたとおりである。 東京で開かれた世界学会から25年以上過ぎているが、そろそろ、delegatesの多さから考えても、日本でもまたこの学会を開くのも必要かなと思われ、次々回の決定の時には少し纏まった動きをしてもよいのではないだろうか? シドニーの夜の番組ではオペラを見たり、鮑のしゃぶしゃぶという珍味を賞味できたりと楽しい滞在であった。 帰りは日本航空でなんの問題も無く、無事成田に到着翌日よりまた多忙な東京女子医大の生活が始まった。 4年後世界脳外科学会はモロッコのマラケシで、定位学会はローマで開かれる。 日本から多くの先生方の参加が期待される。 |