学会報告記
 第12回世界脳神経外科学会。 2001年オーストラリアシドニーで開かれた、世界脳神経外科学会は、オーストラリアという地の利もあって、日本からも大変多くの参加者があった。 この学会の前にケア‐ンズで機器学会が開かれ、またアデレードでは定位機能学会が開かれた。 ケア‐ンズでの学会は信州大学の小林茂昭先生がプログラム委員であったようで、私の方にも下垂体の手術法について発表するよう推薦していただいたが、丁度アデレードで同時に定位機能脳神経外科学会が開かれていたため、私は後者に参加させていただき、前者には教室の川俣君に発表してもらった。 個人的にはアデレードは以前に世界疼痛学会が開かれ、鳥取大学の竹信君と参加していたので、ケア−ンズに行きたかったが、岡山で日本の第24回定位機能学会を開かせて戴くことになっていたことと、最近の定位機能領域の著しい進歩もあり、私はアデレードに参加した。 この学会では最も熱いトピックスはもちろん視床下核の刺激療法であった。 この領域の先駆者はグルノーブルのBenabid教授である。 彼は私がパリ、サントアンヌ病院のタレラック教授のところに留学していた1974年に同病院に1ヶ月半visiting fellowとして来ており、旧交を温めることもできた。 彼はその他にも難治性てんかんの視床下核刺激・またシドニーでは側頭葉てんかんに対しての切除ではなく、遮断外科の成績を発表するなど、まさに油の乗り切った今をときめく素晴らしい研究者として自他ともに認められている、存在である。 ちなみにこのパーキンソン病に対するSTN刺激はその長期成績(5年以上)とともに本年度のAANSにおけるPlenary lectureとして第1番に発表された。その他にてんかんの視床刺激なども報告され、定位学会も今や破壊ではなく、刺激治療が主流を占めるようになったといっても過言ではない。またフランスマルセイユのRegisが行なっているガンマナイフによる側頭葉てんかんの治療も注目を集めていた。 この分野では医学・工学など学際的な協力がこれからの発展には必須のものと思われた。 なおこの学会では群馬大学大江名誉教授が長年の功績を認められ、レクセルメダルをライチネン教授とともに受けられたのは日本人の一員としても大変名誉の事と思った。 また、世界定位機能学会の役員が変更になり、大江教授に代わって、Asia-Australaisia地区のVicepresidentとして不肖私が推薦され承認された。今後の責任の重さを痛感している。 

この学会の最中にあの忌まわしいニュウヨークのテロ事件が勃発した。 私の妻はテレビで初めは何かの映画のシーンでも放映しているかと思った程のすさまじい事件であった。 この事件と関係があるのかは不明であるが、学会開催中にテロ事件直後にアンセット航空というオーストラリアの航空会社が突然破産し、私の持っていた航空券は無効となってしまった。 なんとかしなければならなかったが、丁度このことが判明した日が私の早朝セミナーの発表と重なっており、結局カンタスで発売される航空券はすべて売り切れており、途方にくれてしまった。 教室の平君ほか2名のものも同じ運命にさらされたが、彼らは金曜日の夜行バスに乗ってシドニーへ行くということになった。なんと25時間かかるというので、私たち夫婦は取りあえず、果報は寝て待て、土曜日になんとかシドニーにたどりつく方法はないかと考えながら、汽車の時間表を見に、駅に行ってみた。 すると顔みしりの中国人二人が歩いてきたので、なにをしているのかを聴くと、かれらはレンタカーを借りて、明朝シドニーに行くとの事であった。 レンタカーはいいなと思い、では我々もレンタカーを借りてみようかと、彼らにどこで借りたのかなどど聞くと、レンタカーももう殆ど無いなどという。 そのうち結局彼ら二人と私たち夫婦の4人で一緒にシドニーまで行く話が纏まった。 翌朝彼らと車に乗ると、彼らはまずメルボルンに行き、友達と会うというので、仕方なくその日はメルボルンに行くこととなった。 メルボルンに着いたのは夜の7時を回っており、彼らと別れて今度は汽車で翌朝シドニー−まで行くこととなった。 結局日曜日の夜8時過ぎにシドニー−駅に到着したが、11+12=23時間の長旅となった。 月曜日にはまたmorning seminarが当たっており、まあ滑り込みセーフめでたしめでたしとの結末となったが、途中カンガルーが車の前を飛び跳ねたり、160キロのスピードで走っていたら覆面パトカーにつかまり、危うく監獄にぶち込まれそうになったが、結局人徳で許してもらったりとまことに波乱万丈の旅ではあった。 あんなにのんびりと12時間もかけてオーストラリアの殆ど同じ景色が続く大自然を満喫できたのがせめてもの救いであった。 

シドニーでは自分の発表の他には教室の人の発表を聞いて回ったが、私が聞いたなかでは、Choux先生の頭蓋咽頭腫の発表などが印象に残った。 また前述のようにこの学会でも新しい事と言えば、やはり定位・機能治療の発展振りが目を引いた。 視床下部過誤腫に対する治療として半球間裂からの除去が良い成績をあげているとの報告も興味を引いた。 頭蓋底のセッションでは久しぶりに白馬先生がいろいろ質問したりして健在振りを示しておられた。総じてこの学会ではアメリカからの発表者は欠席が多い印象であったが、日本からの発表が多く、評価されていると思われた。 WFNSのdelegates meetingがこの学会中に開かれ、私の他に佐野・高倉・河瀬・橋本・小川・山田教授らが出席された。世界学会を2年に一回開催するという議題が提出され、決まりそうになった1幕もあったが、結局翌日の会議で(私は日本に帰ったので出席できなかった)否決され、従来どおり4年に1回と決まった。 日本人では小林教授・加藤助教授・河瀬教授がそれぞれ役員に選出されたのは先般の評議委員会で報告されたとおりである。 東京で開かれた世界学会から25年以上過ぎているが、そろそろ、delegatesの多さから考えても、日本でもまたこの学会を開くのも必要かなと思われ、次々回の決定の時には少し纏まった動きをしてもよいのではないだろうか? シドニーの夜の番組ではオペラを見たり、鮑のしゃぶしゃぶという珍味を賞味できたりと楽しい滞在であった。 帰りは日本航空でなんの問題も無く、無事成田に到着翌日よりまた多忙な東京女子医大の生活が始まった。 4年後世界脳外科学会はモロッコのマラケシで、定位学会はローマで開かれる。 日本から多くの先生方の参加が期待される。