こんな保育園であり続けたい

善意だとしても、育ててあげる その気持ちをおしつけたとき子どもはイヤーな顔をした。
無理にやらせようとしたとき 子どものからだは緊張ですくみ、無理に言わせようとしたとき
子どもは口をつぐんだ。

子どものからだ・子どもの表情・子どもの行動は実に正直です。
どんなに「その年令になればできるはず」「みんなもやっているんだからできるはず」と求めても、
それが、今のその子にとって無理なことであるとき、からだも心もちぢまります。
逆に「この年になって こんなことして・・」と思うような状態のときも、
その子がそうなってしまう理由が必ずあるものです。

子ども時代・・・・・人の一生のなかで たった一度の時代。
とりわけ乳・幼児期はその人の人としての土台〜”感覚”(無意識のもの)が身につく時代
ということができると思います。
それは、なにをとし、なにを不快とするかの感覚からはじまる。
そして安心という感覚。信頼という感覚。
そこから意欲はうまれる。その子らしい自己表現がでてくる。

お母さんになったら、誰もが我が子に望むことーすこやかに、のびのびと大きくなってほしい。
だけど、この時代、このあたりまえの願いを叶えることはたやすくありません。

子どもの環境というとき、ひとつには空気や水、土の質、
又、食べものや建物等々、物的環境といわれるものが
あります。
汚れているものは美しく、壊れかけたものは修繕し、
よりよりものを選んで、電磁波など避けられるものは避け、
強い陽ざしをカットする術を考え・・・ささやかなことからでも、
気がついた人から考え、相談し、この物的環境はつくり
だしていかなければなりません。



もうひとつの子どもの環境。
それは人の環境・・・・・人的環境です。
子どもたちにとって、この人の環境はとりわけ大切です。
子どもがどのような人間関係のなかでその人間関係をつぶさにみながら
感じながら育つかということです。
それは家族がお父さん・お母さんがどのような関係でなりたっているか、から始まります。
自分の考えをもち、意見がだせ、相手の意見もきき。
人として尊重しあい。
時に争いになっても、泣いたり、笑ったり、励ましたり、叱ったり・・・・かざらず、とりつくろわず、
信頼のなかでそれらの営みをつくりたいものです。

正しいか間違っているかだけのとらえ方、〜あるべきだというだけのとらえ方ではなく、
自分の思い・相手の気持ちを大切にしあって生きている大人たちのなかで、
子どもは子ども自身のなかに安心感信頼感をそだてていくのだと思います。

風の子共同保育園もそういう人間関係をつくりだすひとつの場所としてありつづけたい、と思います。

山あり谷あり一本橋あり・・・変化に富んだ散歩道。
野いちごを食べたりどんぐりを拾ったり・・・
弥仙山にいだかれた於与岐の大自然は
たくさんの楽しみを与えてくれます。

園長 和田きよみ