創風社編集部
2012年4月20〜21日の2日間、レンタカーで石巻地方を3人でまわって来ました。『震災の石巻』に原稿を寄せていただいた方々に挨拶をし、石巻地方の状況を見てきました。まわったところは、石巻・女川・雄勝・北上・鮎川、そしてこれらの漁港の間に何十もある50〜100戸ぐらいの小さい浜です。詳しくは写真を見て下さい。
1)女川→雄勝→北上の間だけでも30〜50ぐらいの小さい浜があり、そこに暮らす人々は養殖を中心とする沿岸漁業で生計を立てて来ましたが、どの浜もすべて津波で流されていました。これらの漁業者はこれからどのように立ち上がっていけるのでしょうか。あちこちの浜で、海には養殖の筏も見えました。 女川から鮎川までの牡鹿半島も北側も南側も同様の小さい浜が何十とありましたが、浜がすべて津波にやられていました。 女川や雄勝などのやや大きい漁港には5階建のビルがひっくり返るぐらいの強い津波にやられていて、平野部の津波より湾を襲った津波の方が大きく強かったことがうかがえました。 2)大川小学校の状況は行ってみて強く感じたことは、大川小学校の100mぐらいの近さを流れる新北上川は河口に近いので、川幅100〜200mの大河でしたので、ここを遡った津波の強さを想像できました。また大川小学校の校庭に立つと、学校は平地に立っているので、北上川の様子は全く見えないのです。100m先の堤防を津波が超えるまで全く何も見えないところに学校は立っていました。学校そのものは近代的な工夫を凝らした設計で、恐らく相当力を入れて作ったと思われますが、北上川が見えない、川の様子が全く見えないという点で大きな問題を抱えた設計のように思いました。 全体的には写真を見ていただけますとわかります。石巻近辺の浜に上がる魚の一部から放射能が検出され、市場に出せないので漁協は東電への補償に動いているとの話も聞きました。 石巻地方の再建には長い時間がかかると思います。放射能の問題もあります。次はどのような企画になるかわかりませんが、なぜこのように被害が大きくなったのか、人間社会の問題点を追い続けたいと思います。 )
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