コミュニケーションの総合理論 |
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動物のコミュニケーションについての比較的新しい研究成果を紹介しながら、新しい多くの発見や成功にもかかわらず、いや、そういう成果が上がれば上がるはど、新しく生じてくる問題に触れていく。たとえばチンパンジーやゴリラは、ある程度まで人間の言語を習得できる。しかし、それははたして人間の言語なのだろうか?,この間に答えるため、人間の言語の特質を、その発生の段階までさかのぼって考えてみた。 第1章 死のコミュニティ 主題は一転し、人間のコミュニティをコミュニティとして成立させている核としての、死を見つめる。ブラジル東部のイタパリカに住む離郷ヨルバ族社会での、「死んで蘇る者たちの家」での、1年に1度の深夜の秘儀は何を意味しているのか? トロブリアンド諸島におけるパロマとは? また、ジョルジュ・バタイユが計画した秘密結社アセファルも考察の対象になる。死でつながれるからこそ、生のコミュニティが成立する。 第2章 コミュニティの死 17世紀末の1695年、ライプニッツは、コミュニケーションという言葉をタイトルにふくんだ論文を書いた。このライプニッツだけでなく、デカルトもスピノザもルソーも、自分の故郷を捨てた、もしくは追われた。自分のコミュニティとの断絶の体験が、孤立者としてのモナドの哲学と同時に、それを結ぶコミュニケーションの哲学を志向させたのではないか。コミュニティの死がコミュニケーション論を要請した。 第3章 コミュニティのコミュニケーション マルセル・モースがいち早く理論化を試みたように、原始社会には相互性をもった贈与が広く見られる。 儀式的交換である。クワキュウトルのポトラッチ、トロブリアンドのクラ、ハーゲン(ニューギニア中部)のモカ、グッドイナフのアブツなどである。それぞれに新しい知見がある。コミュニティ間のコミュニケーションを通して、コミュニティ内のコミュニケーションも発展していく。 第4章 コミュニティとコミュニケーション 社会心理学者G.H.ミードの所論などを引きながら、コミュニティとコミュニケーションの関係を探っていく。コミュニケーミョンなしには、コミュニティは絶対に成立も存続もできない。しかし、今ここにあるコミュニティを変革しつづけるよう、個人の創造性の発露を保障するコミュニティを実現するためには、どういうコミュニケーションが要請されるのだろうか。(@G・H・ミードのTとme、Aミードの自我をめぐって) |