われわれの知的状況を眺めると、もっとも変わりやすい外見はもとより、もっとも基本になる知識に関してさえ、秩序は根っからの反動派に握られ、したがってそこからは何の成果も生じない。いっぽう進歩は全くの無秩序で、したがって徹底して不毛でありつづける。その危機は深刻である。 オーギュスト・コント
目次
第1の書 国家主義とは運命決定論の是認である、という命題について
1)私が本書を公刊する理由
2)国家主義、それは運命決定論の是認である
3)下界の片隅で
4)真実とは何か?
5)ふとった子牛は無用だ
6)「民族」および「フランス国民」という言葉についての覚書
第2の書 ドレフュス事件
第1章 ドレフュス問題の位置
7)メリーヌ内閣の責任(「反逆だ」と人びとは叫び、政府は眠ったまま)
8)デルレードの公式
9)アルフレッド・ドレフュスはシンボルである
10)私はドレフュスというシンボルをフランスとの関係で判断する
11)絶対的真実と司法的真実についての対話
第2章〈絶対〉にこだわる知識人、あるいは屈理屈屋
12)ゾラ
13)知識人とは何か?
14)知識人の抗議
15)わが哲学教師たち
16)フランスとプロテスタントとの関係
17)ユダヤ人とプロテスタントについての“抽象的な”考察
第3章 知識人への反論;相対化する感覚
18)〈祖国フランス〉同盟
a)その設立の当初から、それはどう理解されたか
b)その旗あげ行事
c)私たちが実現したかったこと
d)私のいう協調の意味(カトリックであれ実証主義者であれ、愛国者も地方分権論者も、
社会理論を待望するすべての人の連合)」
e)〈祖国フランス〉に提案した理論
f)〈祖国フランス〉の委員会委員長を私は1901年10月にやめた
19)国家主義教育のための宣伝
a)国家主義教育
b)〈アクション・フランセーズ〉の宣言
c)さまざまな同盟の責務
d)カルチェ・ラタンにおける国家主義の研究
e)国家主義の実験室訪問
f)〈兵士への呼びかけ〉の夕
第4章 レンヌにて
20)ルビコン川が流れる町・レンヌヘの途上で
21)ユダのパレード(1895年1月5日、士官学校で行われたドレフュスの軍籍剥奪式の思い出)
22)キングたち、クイーンたち、ジャックたち
a)ドレフュスの入場
b)コンブール訪問(ドレフュスについての感想)
c)ドレフュスの真剣な動き
d)この審判の真の性格:陰鬱な悲しみ
e)陸軍判士たち
f)弁護士たち
g)ラボリヘの暴行の真相
h)弁護士たち(つづき)
i)廃虚の風景
j)ピカール
k)ピカール主義
l)証人たち(ベルチュリュス、フォルツィネッティ、コルディエら)
m)無名の花々とレンヌの気候
n)結論:「反ドレフュス派である私たちの歓呼」
23)軍法会議の判決
a)正義も国家も満足だ
b)判決の周辺
第5章 デルレードの役割
24)壇上のアナーキストたち(1898年12月10日)
25)国民広場での行動(1899年2月23日)
26)豚小屋を見る二つの視点
27)デルレードの知恵
28)ロシア同盟、アルザス・ロレーヌ、それと〈愛国者同盟〉についての覚書
29)ストラスブール大通りの記念像のところでの1901年7月14日
30)ルナンの言葉
解説(400字×100枚)――稲葉三千男
立読みのコーナー(1/28)
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