1960年代末から「巨大開発」と称せられてきた青森県上北郡六ヶ所村を中心とするむつ小川原開発計画は,その実施主体や責任が不明確なままに進行し,その過程で地域住民の生活基盤や伝統的共同体の破壊など,深刻な問題を発生させてきた。そして1985年4月,頓挫したこの開発計画の継続と,巨額の負債を抱えた第三セクターむつ小川原開発魔フ救済策として,危険な核燃サイクル施設を受け入れることになった。現在,六ヶ所村では大規模な再処理工場の建設が進められ,すでに操業を開始した核廃棄物受け入れ施設には海外から返還高レベル放射性廃棄物,国内原発から低レベル放射性廃棄物の搬入が続いている。さらに核燃サイクル施設の中核である再処理工場燃料プールには,使用済み核燃料の搬入も開始された。またITER(国際熱核融合炉),MOX(プルトニウム・ウラン混合酸化物)燃料加工工場など他の原子力関連施設の六ヶ所村への誘致が具体化しつつある。
むつ小川原開発は,当初,国土政策における産業立地の観点からの石油関連産業中心の大規模臨海工業地帯建設であったし,経済の停滞する地域では工業化による所得向上と出稼ぎ解消に夢をかけての選択だった。そうした地域開発計画の方法の是非はともかくとして,現在の六ヶ所村は当初の構想とは非常に異なる状況であることは誰しもが認めることであろう。これまでの30年余にわたる開発計画の経緯が検証され,地域開発は何のために,また誰のためになされるべきかが問われなければならない。また核燃サイクル施設を中心的位置付けとした1985年4月以降の開発計画が,国の原子力政策,巨大な原子力産業,独占的電力産業の動向など相互関係に規定され,それらの圧倒的な経済力と権力の前に地域住民,あるいはその代表であるべき自治体の自律性が著しく損なわれている実態が解明されねばならない。
本稿は,以下のように構成した。最初に「第1章 開発計画・核燃サイクルの経緯」で今日まで30余年にわたるむつ小川原開発計画の経緯を簡潔に紹介する。ここでは同開発計画に核燃サイクル施設立地が決定される1985年4月を重要な分岐点にそれ以前,それ以降に分けて整理した。「第2章 開発計画・核燃サイクルと経済界」では,開発計画初期にその企画・立案に積極的に活動した経済界の動向などを述べる。そして次に過去,最も開発計画・核燃サイクルの継続に硬直的姿勢の青森県,また開発計画・核燃サイクルの現場である六ヶ所村が,政策的,財政面で開発計画・核燃サイクルにいかに関わりどのような影響を受けたかを「第3章 開発計画・核燃サイクルと青森県」,「第4章 開発計画・核燃サイクルと六ヶ所村」で整理する。むつ小川原開発計画・核燃サイクル事業が地域経済に及ぼした影響に関しては,六ヶ所村経済を中心に青森県のそれとも比較しつつ地域産業を農業・漁業・建設業の3分野に分けて歴史的展開にもふれながら整理,検討した。それらが「第5章 開発計画・核燃サイクルと地域農業」「第6章 開発計画・核燃サイクルと地域漁業」「第7章 開発計画・核燃サイクルと地域建設業」である。「第8章 開発計画・核燃サイクルと住民生活」では,地域住民の所得や雇用など生活面での影響と地域経済循環に言及している。そして1985年4月以降の開発計画の中心となった核燃料サイクル事業に関して,「第9章 原子力の動向と核燃サイクル事業」において,日本の原子力政策の推移を背景に核燃サイクル事業を担当する日本原燃(株)を経営面から考察した。最後に「終章 開発計画・核燃サイクルの本質」では,本稿全体を通じて整理した地域経済構造の変質,損益関係をもとに,今日まで過去30余年に及ぶむつ小川原開発計画・核燃サイクル事業が,初期の構想から逸脱しながらも継続される要因に言及し,その利潤獲得機会としての機能ならびにそれが引き起こす弊害について言及した。 |