本書より一不思議なことに、萬については,土澤の地に立つたびに新しい発見があるもの。その日は、たまたま雪の朝だったので、今風な建物の屋根や、壁の色彩が押え込まれ、モノトーンの土澤でした。萬の大正7年作『木の聞から見下ろした町』の実感です。以前に内藤正敏(写真家)さんと話したことですが、明治から大正にかけての時代は、日本人の文化に対する根元的意識が一大変革を迫られた重要な時期です。その頃、花巻一土澤一遍野を結ぶわずか50キロの、軽便鉄道沿線に、高域五郎、佐々木喜善(柳田国男『遠野物語』の元の話を伝えた人物)、宮澤賢治が出ているんです。内藤さんによれば、く偶然とはいえない一致>ということになる。つまり、寓の根は,西洋のいわば美術教養から学んだ諸流派の不細工とも映る日本的模倣から出発したとする次元では、とうてい捉えきれない。一見、前衛的な諸作も、軽便鉄道ラインに大迫を加えた、山岳信仰の拠点・早池峰山の、それにまつわるく民俗>の数々を眺めれば、解けてくるものがあります。西洋近代美術史のコンテキストに、日本のそれを放め込もうとすれば、ずり落ちるものがある。そこに萬は居る。(中略)
ピカソ風な萬の自画像、などというのは無効です。萬をして、国際的な普遍性を持たせるためには、西洋近代絵画史の文脈に無理やり嵌め込むのではなく、例えば、民俗(萬なら土澤、あるいはその間辺の)を切り口に援用するぐらいの、考察の独自性こそが必要だと思うのです。萬作品に表出する赤と緑を、赤=土澤の赤土、緑=桑園の緑、をこの眼で確認すればするはど、フォービズムの日本的展開、などというしたり顔は認め難い
I 土 澤
赤と緑のはぎまで――古里の土肌と桑畑の風景
土澤――木の聞から見下ろした町
土澤と萬鐵五郎
II 茅ヶ崎
茅ヶ崎と萬鐵五郎
画家・萬鐵五郎を追って
III 萬鐵五郎を辿って
民俗に根差した多面体
萬鐵五郎の絵画がもたらしたもの
「風土と美術」――萬鐵五郎と勝平得之をめぐって
IV 萬鐵五郎多面体
萬鐵五郎多面体
ファミリートーク「萬鐵五郎と私たち]
(ゲスト 萬修 馬渕明子 司会 村上善男)
対淡「萬鐵五郎の原風景」(内藤正敏・村上草男)
フリートーク「萬鐵五郎と郷土の造形」
(パネリスト 田中恵 内藤正敏 村上善男 司会 千葉瑞夫)
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