この『ぼくらのペガサス』は、一九六六年に池田龍雄さんのさしえとともに理論社から出した本『ぼくらのペガサス』とは題名が同じだけで、中味も組み立てかたも、ちがっていて、まぎらわしい。どうか、お許しあれ。
やや長い「ぼくらのペガサス」という童話が入っていることだけが、題名に出ている点をふくめ、同じなのだが、じつを言えば、この題名は、そのころ理論社にいた今江祥智さんが、つけてくれたもので、何年も何年もたって、書きなおしをしたりしても、題名への愛着が変わらないので、まぎらわしいのも承知で、一冊の本全体をあらわす題名として残すことにしたしだいである。
『えんにちまいご』は、朝倉摂さんのさしえがたっぷり入った書きおろしの一冊で、もし古書店で見つかったら作者のわたしがすぐ買いそうな本である。作者がもうたったの一冊しかもっていないのだから。
「おばけをみにいく」と「ぼくの空想機械――名前はラーラセンペラテラピーオ」は、それぞれ元のかたちを『母の友』『文学空間』という雑誌に発表しただけで、本に入れるのは初めてである。
「うたつなぎ」は、『ほんとの誕生日』という本の中から抜きとって、ここに入れた。何人かで、詩の合作をする遊びかたが、出てくるので、試してみたら、どうですか、という意図からである。
詩の「ふしめ」「ねこのねごと」「くもとかぜ」は、詩集『イグアナのゆめ』『あわていきもののうた』からで、いずれも作曲がされていて、「ねこのねごと」は高田渡のCDの題名にもなっている。
この本には、詩や童話とちがう文章を二つ入れた。随筆という名まえがつけられるかもしれない「迎え入れたお客さん」と「十五歳の分かれ道」の二つである。片仮名でエッセイといったほうが、わかりやすいかもしれない。
だからこの本では、詩と童話とエッセイという三つが、太さや細さは違うけれども、織り糸になって、寄り道や回り道へとさそう組み立てになった。こんがらがって足がもつれそうになったら、ペガサスのように空に飛び上がって、遠く、近くを、見まわして下さい。