島崎 隆
1 問題提起
池田氏は東京唯研,全国唯研などに集う多くの唯物論研究者を総批判してきた*。これにたいする反応・反批判はほとんどなかったと思われる。私がこれら二著を読んだのはそれほど前ではなかったが,ただちに反論する気にはとてもなれなかった。それはそこに,論争をする以前の問題として,当方の主張の理解がほとんどなされていないということがわかったからである。さらにまた,そこに見られる強固なマルクス・レーニン主義的呪縛のために,応答してもほとんど了解不可能となるだろうと予測したからである。だが,創風社の千田氏の熱心な勧めもあり,またある方から,こうした批判にめげないでがんばってほしいという励ましのお手紙を項いたこともあり,ともかくも池田氏の詳細な批判にある程度応答しておく必要を私は感じた。他の論者にたいする批判の妥当性については私は関知しないが,事情を知らない人が池田氏の著作を読めば,そこで批判された多くの論者が決定的な弱点をつかれたので反論ができないのだ,と判断するかもしれないから,私なりの反応をする必要を感じたということもある。
*池田昌昭『唯物論と観念論』創風社,1997年。同『物資と意識』創風社,1999年。以下,それぞれ『唯物論』『物質』と略記する。たいする私への批判は,おもに『対話の哲学』こうち書房,1993年,『ポスト・マルクス主義の思想と方法』こうち書房,1997年,に向けられる。それぞれ『対話』『マルクス主義』と略記し,引用する。
そこで私はまず,拙著『マルクス主義』の当該箇所(第11章「レーニン哲学の再検討・序説」)をあらためて読み直した。そしてその箇所が当時の自分としては最大限の慎重さと理論的配慮で書かれていることを確認した。やはり池田氏は,私の著作をきちんと読みこなしたとはとても思えない。そして私はレーニン哲学の欠陥を指摘したものの,レーニンに配慮を払い,その哲学の一定の意義がつねに承認されていることも確認した。こうして私は,いまの時点でとくに何も書くことがない。私は困り果てて,詳細は拙著の当該箇所に譲るとして,結局,論点を池田氏の理解するレーニン的唯物論の可否に絞りつつ,それにたいするマルクス的唯物論の問題構成を対比させ,両者の相違を図式などを交え,煩瑣な引用などは省略し,できるだけわかりやすく展開することにした。というのも,レーニンが『唯物論と経験批判論』などで主張した,明快な唯物論一般の議論と,マルクス的な弁証法的複雑性をもった唯物論との相違は,マルクスに関心をもつ哲学専門家以外にはほとんど広がっていない事柄だから,わかりやす再論することは一定の意義をもつと思われるからである。
2 レーニン的唯物論の問題構成
『唯物論』では,ほぼ冒頭から32頁までが私のレーニン解釈への批判であり,それは実質的には,拙著『マルクス主義』の第11章が対象とされる。『物質』では,『対話』の第5章,「真理反映論と真理合意論」を中心に私への詳細な批判がなされるが,レーニン解釈の問題も再度,199頁以下でくり返される。『対話』に関しては論ずる余裕がないが,慎重に緻密に議論を重ねたつもりの私の叙述が,丁寧な理解なしに荒っぽく批判されているという印象をもった。また池田氏は,哲学史的にもヘーゲルやカントにたいしてまことに荒っぽい議論をしている。たとえば,『物質』4頁以下で,ヘーゲル大論理学について解釈するが,ヘーゲルを唯物論者に仕立てており,ヘーゲルが観念論の立場から批判しているはずの伝統的論理学の立場を,へーゲル自身の立場と誤解してしまっている。物自体への私の理解も,もちろん私はレーニン的に「物質」として解釈することを踏まえつつ(『マルクス主義』397頁以下),さらに哲学史的にそれを疎外態と解釈したが,その事情を理解せずに,氏はレーニン的議論へと強引に引きもどす。
さて,細かな点は省くとして,レーニン的唯物論の基本を図式化しよう。私見では,これはスターリン主義と同一視されるマルクス・レーニン主義の枠組みのひとつの源泉となったものである。周知のように,レーニンはいわゆる哲学の根本問題を物質と意識の関係と見て,それを「認識論上の根本問題」と理解する(私は唯物論一般の議論を,さらに物質が先か意識が先かという哲学の根本問題を,ただちに認識論的問題とは見ないが,いまこの議論はしない――『マルクス主義』395頁を参照)。これはたしかに,カント的不可知論,マッハ的主客相関論,バークリ,ボグダーノフらの主観的観念論を批判するうえで,ぴったり照準があっている対応である。だが以上のかぎりでは,唯物論一般の立場に立ち,しかもそれを認識論的問題(対象を反映できるか否か)とみなして,観念論を不合理として批判した段階にとどまる。図式化すると,図式1の通りである。
もとよりレーニンもマルクスを読解・吸収してきたのであるから,それを単純な唯物論一般に置き換えることはできないが,『唯物論と経験批判論』によるかぎり,私はレーニンがマルクス的な「実践的唯物論」(後述)の原理をきちんと押さえていず,池田氏が強調する唯物論一般のレベルを十分に脱却できていず,したがってマルクスを誤読してしまったと批判したのである。この意味で私は,レーニンが唯物論一般と実践的唯物論の中間にあるとも述べた。さてここで「物質」と「意識」の関係がタテに置かれているのは,物質世界を大前提として,意識主体がそれを認識する(反映する)かどうかが問われるからである。つまりタテの関係は認識的関係を意味する。このさい唯物論は,「物質」を第一次存在とし,それに「意識」が働きかけるとしても,「意識」は基本的に第二次的・派生的存在なのである。だからここで,「存在を意識が反映する」という,表現上マルクスにも共通する命題は,あくまで認識活動としての反映として解釈され,だからレーニンは,反映は「近似的に正しい写しでありうる」というのだ。つまり人間の認識は一度に完璧な真理に到達できないで,そのつど近似的になり,徐々に深まる。そして,マルクスを受けて「社会的存在を社会的意識が反映する」というとき,レーニンは,上記「存在を意識が反映する」という命題が社会に領域内に限定されて,そこに適用されたと考える。
3 マルクス的唯物論の問題構成
だがこれは,マルクスの「実践的唯物論」の構想と基本的に異なる。マルクス自身の主張によると,唯物論一般の立場は世界と人間をとらえるうえで不十分であり,それは観念論と同位対立に陥り,それを超えられないのである。たとえばそれは,有名なフォイエルバッハ・テーゼのなかで示される。その第一テーゼによると,レーニンも言及したフォイエルバッハの唯物論も含めて,従来の唯物論の主要欠陥は,現実的対象がただ直観や認識の形式のもとでのみとらえられており,活動的な実践の産物として主体的に把握されていない。そしてその活動的側面は,かえって観念論によって展開されたが,しかし抽象的にしか展開されなかった__。すでにここにレーニン的唯物論への批判が暗示されているといえないこともない。詳細な説明はできないが,『経哲草稿』『ドイツ・イデロギー』などを通して,マルクスは従来の唯物論を超える新しい唯物論を提起し,それによってヘーゲルらドイツのイデオローグたち全体を克服しようとした。だからマルクス主義にとって「実践的唯物論」として性格づけられる新しい唯物論が重要であり,それは唯物論一般を継承しつつも,それを批判するものである(実践的唯物論の正確な中身は,『マルクス主義』の序章第3節を参照)。さて実践的唯物論とは,あえて一言でいうと,現実を労働・生産などの実践的活動の産物としてとらえ,社会と歴史のルツボのなかですべてを批判的に把握し,共産主義を実践上の究極目的とする立場である。それは従来の唯物論と観念論を同時克服する。自然を単に所与の対象とみなし,それを素朴に認識しようとしていた点で,フォイエルバッハらの従来の唯物論には,主体的で社会を媒介にした批判の観点が欠如していた。以下,マルクス的唯物論を図式2において表現したい。もちろんマルクスの主張も一義的ではないし,もとよりこうした図式は単純化のそしりを免れない。
マルクスの実践的唯物論の問題構成は,上記レーニンの唯物論よりもっと批判的・根源的であり,かつ具体的である。それは反映としての科学的認識をも自明の前提とせず,その認識対象がそもそも私たちに実践的な意味でいかにして与えられるのか,から始まる。もちろん,マルクスもこのように明確に定式化しているわけではなく,あくまで私自身の主体的読み取りを含むということをおことわりしたい*。図式2で「物質的生活」などの項と「(社会的)意識」などの項が横に並んでいるのは,それがレーニンのように,物質を大前提として認識論的関係にあるのではなく,両者ともに社会的存在として相互に影響を与え合う関係として,存在論的・社会構造的関係(形而上学的意味の「存在論」とは異なるが)にあることを示すからである。ここで「存在が意識を規定する」といわれるとき,それは存在を意識が科学的・認識論的な意味でいかに反映するかが問題となるのではなく,むしろまずは無意識の関係において,だが客観的事実として人間の物質的・実践的生活がそれに対応した社会意識とどうつながるのか,あるいはそのひとのもつ意識にどういう生産関係・階級関係が対応するのか,などのメカニズムが問題となる。ひとは自由に自分の意識や観念を形成しているように見えるが,実はその根底に隠された社会関係があり,それがまずは無意識的にせよ,確実にその人間の意識を形成しているのだ。ここで物質的生活を第一次存在とし,意識・観念などを第二次存在とするのが,マルクス的唯物論であり,それはおのずと,支配の正当化を目的とするイデオロギーへの批判ともなり,ブルジョア社会批判ともなる。もちろんこの両項にはダイナミックな相互作用があり,マルクスはこの社会意識が大きくひとびとの行動を規制し,そこから社会が構築されることを承認する。実際,宗教は過去において,否いまでも国家社会を形成してこなかっただろうか。こうして,両項(物質的生活と意識・観念)ともどちらも社会を構成する要素であるが,それらは唯物論では結局,それぞれ土台と上部構造という位置関係を与えられる。
*この点でほ,渡辺憲正『イデオロギー論の再構築』青木書店,2001年,におけるマルクスの意識論,イデオロギー論などに関する緻密な議論を参照させていただいた。
さて哲学でいえば,ヘーゲルは観念論的に理念や精神を第一次存在とみなし,そこから物質的なものを導き出そうとする。唯物論者であるはずのフォイエルバッハですら,愛というような観念を切り札としてもち出し,そこで観念論へ転倒する。総じて宗教・道徳・哲学において,現実社会の発生源から切り離されて,何か究極の「真理」がそれ自体で自立して存在しうるかのように考えることは,すべて観念論である。だから現実社会では(とくに商品・貨幣,さらに分業を媒介したこの資本主義社会では),社会の物質的あり方から意識・観念・理念へとスムーズに洞察されるわけではなく,マルクスはそこに,複雑な隠蔽関係や転倒現象や理念の自立化の現象を発見する。マルクスのいう物象化などの議論がここに関わる。『資本論』などにおける物神崇拝現象の記述についていえば,まだ,『ドイツ・イデオロギー』では明示されないが,ここには大きな意識上の転倒現象がある。さらに近代の自由・平等などの理念も人間にとって自然で自明なものとして美化されてきたが,マルクスはそれを近代のブルジ,ア的階級にふさわしいものとして暴露するのである。ところで神が世界と人類を創造したと主張するキリスト教などの宗教こそ,もっとも転倒したイデオロギーであろう。マルクスはまさに宗教を要請せざるをえない人間社会の悲惨さを暴露し,宗教を「阿片」と呼んだ。だが,それはけっして,宗教が非合理的・非科学的だから撲滅しようというような,科学的・啓蒙主義的な唯物論ではなかった。こうしてすべてを一度,社会批判の網の目にかけるのがマルクスの実践的唯物論であり,こうしたトータルな社会認識こそ,当該社会の実践的変革を根本的に可能とするだろう。こうして実践的唯物論は,同時に史的唯物論へと具体化されなければならない。
4 実践的唯物論の現代性
したがって,図式2で「(社会的)意識・観念」として「社会的」を付加したのは,領域の単なる限定ではなく,むしろ根源的なものである。というのも,こうしてすべてひとびとが抱く意識・観念は本人の自覚的意識にかかわらずすべて社会の産物であり,むしろ社会批判のなかで社会現象として説明されなければならない。ここで唯物論一般の限界が批判されるのであり,もしそれがリアルな現実批判を貫徹したいのならば,それはマルクスの提起した実践的唯物論に変貌しなければならない。以上の意味では,なぜ歴史上,多様な唯物論や観念論の形態が登場してきたのかを,その物質的基盤(生産や技術のレベル,階級関係など)から説明する必要がある。
そうすると,では科学的認識の位置づけはどうなるのか,すべてが歴史と社会のなかで相対化されてしまうのではないだろうか,という疑問が生ずるだろう。ここで私たちは,現代でトマス・クーンを始めとして盛んに議論される相対主義の問題へと突入する。もちろんマルクスは,『資本論』で明らかなように,体系的な認識を追求したのであって,彼は相対主義者ではない。だが実践的唯物論であるならば,科学の典型たる自然科学とはそもそも何かが問われうるし,科学的認識とはいかにして可能か,も問われうるだろう。第一点については,「産業がなかったら,どうして自然科学などありえようか」とまず発問するのがマルクスであり,産業と交易のなかの実践的産物としてそれをとらえることが必須である。実践に媒介された認識として科学は存在する。第二に,「科学的・合理的」という意識がとくに近代でいかにして発生したのかが問われるべきであり,マルクスの認識論は,単純な科学重視の科学論としてではなく,それは,弁証法を機軸としてヘーゲルを唯物論化したwissenshaftlichな認識批判としてとらえられるべきだろう。詳論できないが,科学の絶対視はSzientismus(科学主義・科学信仰)として批判されるべきである。つまりSzientismusは,一種のイデオロギーなのである。現代思想に触れた者ならば,ここでマルクスの実践的唯物論がいかに深く現代的問題と関わっているかを知るだろう。
こうしてさらにいえば,実践的唯物論は西欧マルクス主義のように,人間中心で主体的な側面をひたすら強調すればいいわけではない。人間社会も図式2の上部に描いた「自然存在」を大前提としており,実に長い自然進化のなかで社会(の原型)もようやく発生したのであり,人間と自然のあいだの質料転換(物質代謝)を必須の生存条件とする。その意味で,私は環境問題などとの関わりで,ここでエンゲルス的な自然の弁証法が復権されねばならないと強調してきた(『マルクス主義』では,第12章参照)。エンゲルス評価の二面性がきちんと把握されることもまた必要である(同上,第9,10章)。とくに後期エンゲルスはマルクス・レーニン主義のひとつの淵源となったが,その自然弁証法の現代的意義は重視されねばならないだろう。
ところで,図式2でも,その下部に「意識」という項目が別に付加されている。これはやはり形式的に,すべての存在の外部にそれを認識し反映する意識主体が想定されるだろうということを意味する。このかぎりで,レーニン的な認識論的問題構成は残存するのである。だがもちろんすでに明らかなように,この「意識」は何か中空に没価値的に,あるいは真理の体現者のようなものとして存在するのではなく,現実には「(社会的)意識・観念」のなかに属するのであり,さきほど述べたように,科学的認識も一度このなかで批判的に吟味される必要がある。そして注意すべきは,図式下部の「意識」は図式上部の「自然存在」と直結していないということである。ありのままの自然が意識に反映されるという没社会的・没歴史的自然哲学は,フォイエルバッハにたいしてマルクスが『ドイツ・イデオロギー』などで批判した当のものであり,大前提である自然は存在論的にも社会による実践的産物へと転化されており,またいかなる自然観をもつかは実は社会的・文化的背景の問題を抜きにしては語れない。
あまりにも大雑把な展開で語り残した点はあまりにも多く,あとは『マルクス主義』などを再読していただきたいというほかはない。だが,実践的唯物論の構想の現代的意義はある程度明らかになったのではないだろうか。最後に語るべきは,マルクス主義のこうむった悲劇である。日本でもマルクス主義(弁証法を含む)は,かつて実に多くの知識人・文化人に影響を与え,社会の変革を願う大衆の学習するところともなった。それは社会科学や哲学の領域のみでなく,自然科学はもとより数学,体育などの分野にまで浸透した。だが不幸にして,そこで浸透したマルクス主義とは,上述のマルクス・レーニン主義であった。むしろこの思想が,近代化と資本主義克服を同時になし遂げようとする日本のような後発型社会にはわかりやすく,適合的であったといえるのではないか。そして日本では,1970年代以後,マルクス・レーニン主義(スターリン主義)の代わりに実践的唯物論が活発に展開されるようになった。だがそれは,マルクスに関心をもつ哲学研究者以外にはほとんど浸透せず,そのうち社会主義崩壊のなかでマルクス主義哲学は全般的に関心をもたれなくなった。真理は発見されたときには,もはや見向かれなくなったというのが現実であった。マルクス・レーニン主義が第一の誤りであったとすれば,マルクス主義哲学それ自身の放棄は第二の誤りである。だがいまこそ,マルクス,エンゲルス,レーニンらの思想は,過去の政治的呪縛から解き放たれて,自由に学問的対象とされることができるのではないだろうか。この拙文も,そこに至る小さなステップといえよう。
参考:『現代を読むための哲学』
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