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稲葉三千男(東久留米市長)氏には2册の詩集(訳詩)がある。『昼下がりの詩』(ボードレール,ヴェルヌの詩を訳詩としても定型押韻詩にしたもの)と『陶淵明―酒三題』(韻訳)である。著者は旧姓高校時代に,大岡信(詩人),日野啓三(作歌),佐野洋(作家)らと同人雑誌を出していた文学青年であった。社会学者,市長としての仕事がその後の主要な仕事であったが文学についてもコツコツと訳詩を続けていたのであるその一部をここに紹介したい。
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マンドリン
伊達男らのセレナーデ
関き惚れるのは美女ばかり
歌声 ざわめく 木の間で
仇な話の花ざか
チルシスがいる アマンドも
若やいでる クリタンドル
あちらはダミスだ なんとも
ヘボなくせ 詩人を きどる
ぴったりした 絹の 上着
装裾 引く 豪華な 衣裳
みやびな 男女 ひとさわぎ
青く うるんだ 影 有情
眺めて 酔って 月 おぼろ
夢心地で 恋 りんりん
そよ風 そよろ そよぐころ
やれ うるさやの マンドリン |
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マンドリン
伊達男の セレナード
ききいるあの娘はあどけない
あだごと 互いにかはすなど
さざめく木蔭のしのびあひ
あれがチルシス こちらはアマンド
あれ誌やいだクリタンドル
ここぢゃダミスが失恋たんと
うたに詠まうとみやびをきどる
意気に短いシルクの上着
装裾ながひく舞衣裳
ちょいと澄ましちゃまた一騒ぎ
青い影さへ崩れさう
あかくおぼろの月の夜に
舞って踊ってしんとろりん
しっとり風さへそよぐのに
やれうるさやのマンドリン |
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上の「マンドリン」は,これまでに2度活字になった。最初は1948年の『向陵時報』で,2度目はそれからの引用という形で大岡信が,彼の『詩への架橋』(岩波新書)でとりあげてくれた。それはそれで,私にとっての青春の形見である。ただし最近の私は,定型性にもっとこだわっていて,右側のように訳しなおした。それだけ頭が硬くなった,ということかも知れない。何度かの転居のドサクサでか,古い蔵書や資料の類を失ってしまい,私の手もとには『向陵時報』も(『マチネ・ポエティク詩集』の初版も)ない。そこでウロ党えでつづるのだが,大岡が『詩への架橋』で書いているとおり,48年の『向陵時報』の編集担当の文芸部員は日野啓三で,その後を大岡が継いだ。その大岡編集の『向陵時報』には,たしか「森永」のペンネームで,モリエールの『ミザントロープ』の一部の拙訳がのっている。押韻訳なのだが,印刷の組が悪くて,押韻が読み取れなかった。当時食費にもこと欠きがちだった私の貧窮を見かねたのか,大岡がなにがしかの原稿料を呉れた。彼自身の編集手当(があったかどうかも知らないのだけれども)を呉れたのかも知れない。私が貰った初めての原稿料である。
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酒を止める
町中を出て 田舎に住む
俗を離れ すっかり自適
緑濃い 木かげで休む
柴垣の ほとりを歩む
菜園で ミツバを摘む
幼な子と遊んで すてき
毎日々々 酒を酌む
酒なしで なんの感激
飲まないと 眠られぬ
飲まないと 起きられぬ
止めようにも 止められぬ
鬱血するから 止められぬ
止めたなら 失う利益
損失はとても 埋められぬ
突如気づいた 禁酒の利
飲酒の害を 今朝悟り
悟った途端 酒こりごり
新生の場は 扶桑島
心機一転 禁酒を守り
千万年の 寿命保とう |
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止酒
居士次城邑
迫遥自閑止
廃止高蔭下
歩止軍門裏
好味止園葵
大雇止稚子
平生不止酒
止酒情無喜
暮止不安寝
農止不能起
日日欲止之
管衛止不理
徒知止不樂
未知止利己
始覧止為善
今朝眞止臭
從此一止去
將止扶桑■
清顔止宿容
笑止千萬祀
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