第一部 コミュニケーション論
I コミュニケーションの理論
II メディウムとミッテルと
III 中井正一の“媒介”論
IV ヤスパースにおける“現存在の交わり”
V ヘーゲルの『精神現象学』とコミュニケーション論
VI 世界をつなぐということ
一 コミュニケーションの意思
二 人類の新たな危機意識を
VII コミュニケーション意識の変遷
VIII コミュニティ・コムニタス・コミュニケーション
一 」・ターナーの著作から
二 コムニタスの概念
三 ミードのコミュニティ論
四 コミュニティの存続
第二部 マスコミ論
I マルクス主義のマスコミュニケーション論
一 コミュニケーション
二 マス・コミュニケーション
II マス・コミュニケーションと認識論
一 うけ手からみたコミュニケーション内容の分類
二 市場的な内容
三 マス・コミュニケーションの機能障害の原因
四 現代のマス・コミュニケーションの機能障害がはたす機能
五 うけ手としての反省
III 現代認識の方法
一 コピーの支配
二 孤立的存在の認識論
三 社会的存在の認識論
IV マス・コミュニケーションの伝達過程
一 対象と視角
二 過去の研究の紹介
三 伝達過程についての現状分析のためのスケッチ
V マス・コミュニケーションの生産過程
VI 組織悪としてのマス・コミュニケーション
一 社会有機体説の意義
二 マスコミ神経系の構造と機能
三 強権にたいして強烈な自己主張を
四 マスコミの戦略−−大衆に眠りを
五 閉塞状況の打開をめざして
第三部 ジャーナリスト論
I 現代マス・コミ労働の特質
II コミュニケーション労働と生産的労働
III 新聞の労働
一 新聞労働の原型
二 日記から新聞へ――新聞労働の協業形態
三 新聞の労働過程と労働三要素
四 労働対象の偶然性ほ紙面に何をもたらしたか
五 記者活動の現実課題
IV 新聞記者
一 記者クラブの閉鎖性
二 規制する側、される側
三 権力への協力・非協力
四 記者の特権への反省
五 真実を報道する執念
V 番組における創造生体
一 芸術創造における個性の析出
二 創造活動における集団性別
三 放送制作集団の流動性
四 第一次集団としての放送の送り手
VI マス・コミュニケーションの制作過程における主要な矛盾
一 利潤動機と言論・表現動機との矛盾
二 組織(集団)と個人
第四部 ジャーナリズム論
I ニュースの真実性と虚構性
一 古典的な「真実の報道」観・311
二 ニュースと社会の価値観との関係
三 マスコミが報道するもの、しないもの
四 ニュースの受け手の責任
II 対立する報道
一 如是閑の新聞観
二 ニュースにおける対立構造
三 事実からニセ事実へ
四 新聞活動における党派性の衰弱
五 編集権と報道の側の体質
III 流 言
一 事実と流言
二 関係づけの枠と流言
三 危機と流言
四 ひとつの事例――火星からの侵略
五 むすび――流言をめぐる諸問題
IV 放送ジャーナリズムの思想
一 思考の社会への譲渡
二 志なきがごとき放送
三 総合統一性をもつジャーナリズム
四 番組制作の集団化
V 放送における多数と少数
一 密室の放送
二 放送法にいう“自由の構造”
三 放送局の社会的責任
第五部 広 告 論
I 広告の本質
一 ベラスケスの画の分析
二 “死んでいる自然”と“生きている自然”
三 広告にたいする反発の心理機構
四 社会観・人間観とのかかわりあい
五 新しい哲学の地平を切りひらく
II 広告についての現象学
一 欠如態にあるものの自己運動
二 広告の文明史的起源
三 ポトラッチの弁証法
四 二値的思考法を排す
五 現代の神話としての広告
六 しうねく焦れる人間の欲求
III 表現の自由と広告
一 わたしのコミュニケーション論
二 広告におけるミュニケーション
三 広告規制の三段階
四 広告領域での表現の自由
五 良識的綱領への検討
六 表現の自由を求める資格
IV テレビ・広告・大衆
一 問題意識
二 広告と大衆
三 テレビ広告と大衆
四 テレビのマジック
V 電波料理論のコペルニクス的転回
一 強調される異質性
二 常識論への疑問
三 放送は“物的生産”
四 スポンサーは集金人
五 複雑な価値とのズレ
VI 視聴率についての考察
一 視聴率主義者のばあい
二 CMコストと販売高
三 時空被拘束性と放送の特殊性
四 民放における性格規定
五 原理的レベルと現実の次元
六 「供給非弾力的」と「供給弾力的」
七 ”みせかけ”の必要性
八 流出しつづける放送
終章 マスコミ研究私史・‥443
あとがき
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