ぼくは日本の児童画を,学校の図工科という狭いわくにはめこむことから解放し,人類の児童画として眺めることを理想と考えていた。たしかにその一歩を踏み出したのがこの本『児童美術』であった。しかし道遠しである。児童画が人類の児童画とみられるようになるためには,教師諸君の視野が拡大されなければならない。それには教師の自己解放が切実な問題として浮かび上ってくる。
20世紀の児童画運動はそこまで一旦到達しようとしていた。21世紀の児童画はそこからスタートすべきであろう。しかしまた100年もたった後のことであろう。(『児童美術』より)
目次
I 児童美術
1 いわゆる「豆天才」
2 児童美術の目的
3 指 導 4 教 師
5 現実の教師 反対論
6 児童美術と思春期
7 ガイダンス 8 評価の問題
9 欧米の児童画と日本の児童画
10 将来のプログラム
II 児童画の見方
はじめに
1 見 方
児童画の見方 幼児の絵の見方
落選と入選
2 日本と世界の比較
欧米の児童画 世界の児童画と日本の児童画
メキシコの児童画集
3 指 導
図画の緒導 1月の図工科
新しい色彩指導 美術教育改善の方法
遅進児の図工指導 図画教育の方法
4 各 論
基礎教科としての図画 図工科の道徳教育
児童美術教育の方向
5 教 師
美術教育のびんのくび 教師のセンス
III 子どもの創造力
1 児童画
世界の児童画から何を学ぶか
全日本学生油絵コンクール展
私のお母さん展
クロード・岡本 子どもの創造力
公衆とぼくたち 彼らの絵
子どもの絵をどう導いたらよいか
児童画ブーム
小学校中学年児童の創造活動の危機
インドの世界児童画展
映画「絵を描く子どもたち」
書 評 前進する子どもの絵
2 教 師
ユウモアと美術教師 教師の個性
教師の自己発揮 人間ぎらいになった教師
3 運 動
創造美育運動をふりかえって
創造美術教育の歴史
4 メッセージ
脱皮できない蛇は亡びる
デモクラティックとは何か
奔馬の速力は計算に入らない
ズボンは折目のないとき真実である
どんなことでもしゃべりたまえ
久 保 貞 次 郎(くぼ さだじろう)
1909年栃木県足利市に生まれる。1933年東京大学文学部卒
1938年から39児童画の収集と研究のため欧米旅行。
この前後から新しい美術教育運動を起こす。1952年創造美術教育
協会創立に参加。1966年ベニス・ビエンナーレ国際審査員。
元跡見学園短期大学学長。美術評論家。
参考:『北川民次美術教育論集』、『子どもの絵は心』、
『久保貞次郎美術教育論集 下』、『道 Kawasaki 心の旅』
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