都市と地方の二重生活レポート1 (09/9/24), レポート(09/11/25更新)

千田顕史


倉庫を地方(約人口1万5千人ぐらいの町)につくって、毎月1回の倉庫作業をしますので、東京と地方の2重生活を約10年間続けていました。現代日本がかかえる問題を鋭く感じる10年間でした。創風社の倉庫のある町では2年前地元資本のスーパーが閉店しました。そして、閉店したスーパーの前には、株をジャスダックに上場しているスーパーが開店しています。

 隣町の郊外型ショッピングセンターには全国チェーンの店がずらりと並び、もともとの地元の商店街は半分以上はシャッターを下ろしたまま、わずかの店が営業しているだけです。

 9月20日の倉庫作業の時近くの農家の人が、私の家の農地の1反歩(この一反歩は近所の人に耕作をたのんでいる)が計画に入る農地の大規模化に賛成する書類をもってきて、捺印・署名を求めてきました。この農地の大規模化は約3億円の工事で30〜40町歩を大型機械で耕作できるようにする計画で、1反歩あたり4万円ほどの個人負担もあります。私は民主党政権に変わり農地の大規模化の事業はストップするのではないか、新しい政権の政策を見てからすすむかやめるか決めたらどうかと意見をいいましたが、県も町もすすめているので、この計画は実行されるというのです。県庁も町役場も政権が変わり、農政が変わるという判断は全くないようです。大規模化農地を貸す側の農家は、新しい仕事があるわけではありません。地方の下請け工場はどこも縮小していて働く先は減少しています。そういうところで農地を大規模化し、農業をはなれた人は、どこで働くのでしょう。

都市と農村のレポート2(09/10/27)

 09年10月下旬の倉庫作業の2日目の早朝5時頃、部落の人が連絡に来て、「Kさんが今日亡くなりましたので知らせにきた」ということでした。64才の一家の主人で、子ども2人が残されました。ここ4〜5年の間に約15戸ぐらいの部落で50〜65才の一家の働き手が3人も亡くなっています。いずれも兼業農家を続けてきた人たちです。代々続いてきた家には、田畑、家屋敷、お墓があります。農業収入ではやっていけないので一家の働き手は外に働きに出て(ダンプの運転、工務店、高速道路の修理など)、休日の土日に農業をして、家を守ってきました。中学生のころは陸上の選手であったような人でも、このような兼業農家の生活を続けていますと、65才をこえて生きる生命力はもう残ってない様です。
 農業を続けて生活ができる、そして平均寿命ぐらいは生きられる、そういう農業のしくみが求められます。
 創風社には、グローバリゼーション(資本主義の世界化)が社会に何をもたらすか、ここに出版の1つの軸をおいてきましたが、農林水産業は自然を相手にした地方の中心産業であり、資本主義の論理をそのまま適用すれば、人間と自然の健全な循環は崩壊し、都市の人間も生きられなくなります。

都市と農村のレポート3(09/11/25)

11月の倉庫作業の際、農家の人たちからいろいろ話を聞く機会がありました。田を大型化する計画の進行状況は、賛成から反対にまわる人もあり、全員の承諾を取れない状況のようです。自公政権のすすめた専業農家に田を集めて、効率のよい大型農業にすれば、農業は効率のよい産業になるという政策は、2つの大きな問題をはらんでいました。

少ない田んぼの所有者は、その田んぼを手渡して、農業をやめたら、他に農村に仕事があるのでしょうか。地方の下請け工場もどんどん人減らしで、働く日数も時間も減っています。そこで田んぼを放出したらその家はなりたちません。またみんなの田んぼを引き受けた人はさらに大型機械が必要になり借金も大型化します。すでに田んぼを大型化したとなり部落の専業農家はその借金で倒産したという話もありました。私はなぜそんな農家に不利益な大型化にみんな賛成するのか、そこが疑問でしたが、反対すると村八分のようになり、やりにくくなるから、農協や村役場には反対できないということでした。農業は水の使用や農道の管理をふくめて常に村と共同のことがいろいろあり、自己主張はなかなかむつかしいのです。

 このままではどうにもならないところで、国民の多数は政権交代を選択しました。地方の変化はまだまだですが、農林水産業の復興に向かって、地方の農業が前進する状況をリアルタイムで見ていきたいと思っています。

参考:

創風社の環境活動レポート「吾妻渓谷に行って」

『都市農村の地域社会学』 ,既刊案内 社会学『地域商業革新の時代』,既刊案内 経済学