1.マルクス主義の「危機」
1989年の東欧社会の崩壊は、マルクス主義者に大きな衝撃を与えた。日本のマスコミでは、「社会主義の崩壊」「資本主義の勝利」ということが宣伝され、それを機にマルクス主義から離れた人も多かった。確かに、マルクス主義の「危機」であった。
20世紀が「社会主義の世紀」であると語られるとき、20世紀の終焉とともに社会主義の終焉ということも含意して語られた。20世紀のマルクス主義は、ロシア革命とともに始まり、東欧の社会主義体制の崩壊によって終焉するというのである。
20世紀に入り、レーニンによって主導されたロシア革命の成功によって、マルクス主義は、世界中に広まることになった。20世紀に世界中に広まったマルクス主義の潮流を、私は、「正統マルクス主義」と呼ぶことにする。この「正統マルクス主義」の呼称については、若干のコメントが必要であるだろう。
それは、まず、「マルクス・レーニン主義」とただちに同義ではない。なぜなら、「マルクス・レーニン主義」はスターリンもしくはその取り巻き連中によって付けられた呼称であるが、「正統マルクス主義」は、マルクス、エンゲルス、レーニンの思想を骨格として、20世紀に世界中に広まった思想であり、スターリン主義が批判された後も存続してきた思想内容を指しているからである。
また、それは「ロシア・マルクス主義」ともただちに同義ではない。なぜなら、「ロシア・マルクス主義」という呼称は、「西欧マルクス主義」との対比のなかで、レーニンとスターリンの思想を一緒ににしてマルクス主義のロシア的特殊化としてとらえる傾向が強いからである。
20世紀のマルクス主義は、さまざまなヴァリエーションをもった「正統マルクス主義」によって代表されるが、それは、先進資本主義国以外で理論形成されてきたために、先進国が抱える問題を過小評価するか、看過してきた。その結果、自らの理論体系のうちに、疎外論、物象化論、市民社会論などを位置づけることができず、そのために、「正統マルクス主義」は、コルシュ、ルカーチ、グラムシらの「西欧マルクス主義」によって「補完」されざるをえなかったのである。
「西欧マルクス主義」によって「補完」されながらも、「正統マルクス主義」は、20世紀全体をとおして、さまざまなヴァリエーションをもって、「冷戦構造」の一方の極として世界中で影響力を誇ってきた。それゆえ、東欧社会主義体制の崩壊は、「正統マルクス主義」の「危機」であった。
しかし、「正統マルクス主義」の「危機」は初めてのことではない。戦後の日本で、戦争にたいする批判者・抵抗者として「精神的権威」をもっていたマルクス主義は、スターリン批判によって、最初の「危機」を迎えた。しかし、「正統マルクス主義」の内部では、思想的には、この最初の危機は、スターリンにたいする個人崇拝や、彼の手によるとされている『弁証的唯物論と史的唯物論』のいくつかの命題が批判されたが、スターリン主義を支えた思想的基盤が批判的に検討されることはなく、それノ
たいするアンチテーゼは、トロッキズムのかたちでしか提出されなかった。
スターリン批判によるマルクス主義の「危機」が最初の危機であるとすれば、その後、1960年代に顕在化していく「中ソ論争」は、第二の「危機」であった。「危機」の意味は、「中ソ論争」によって、マルクス主義にとって、「一枚岩」のコミュンテルが崩壊していったことにある。この危機のなかで、「正統マルクス主義」は、政治的には、ロシア・マルクス主義、毛沢東主義に分解していくが、日本では、この崩壊・分解は、政治的には、コミュンテル(ソ連)の路線と異なった「自主独立」の路線の可能性をつくり出していったので、左右の教条主義との対立・闘争としては注目されたが、「危機」として深刻に受けとめられることは少なかった。第二の「危機」の特徴は、マルクス主義の政治的な路線の分岐にもかかわらず、思想的にその相違が明確に自覚されなかったことにある。
この流れのなかでは、東欧の社会主義体制崩壊による「危機」は、マルクス主義にとって第三の「危機」であるといえるであろう。この危機の特徴は、「正統マルクス主義」が、総体として批判にさらされているところにある。しかし、一方では、この「危機」のなかで、あるいはこの「危機」に先立って、マルクス主義はポストモダンの思想であるという自覚のもとに、環境問題やフェミニュムを視野に入れながら、従来型の「正統マルクス主義」やその「補完」としての「西欧マルクス主義」をのり越えようとする新しいマルクス主義の思想的再構築の試みも、さまざまなかたちで日本や欧米、中国などでおこなわれてきている。
他方、この第三の「危機」は、マルクス主義にとっての「危機」であるだけではなく、資本主義にとっての「危機」にもつながっている。それは、第一に、東欧社会主義体制の崩壊によって「冷戦構造」の一方の極の崩壊にともない、他方の極の多様化がすすみ、潜在的な軋みが顕在化しているにもかかわらず、その「盟主」のアメリカが「冷戦構造」的古い発想に固執しているからである。第二に、社会主義との競合のなかで福祉政策を重視し、「自由」をアピールしてきた資本主義が、競合相手の崩壊のなかで節度を失い、「グローバリゼーション」というかたちで剥き出しの「自由競争」に走り、「新自由主義」にたいする歯止めが失われているからである。
これらの「危機」にたいして、日本で若い世代が見せた反応は、そのときどきで異なっている。最初の「危機」のときは、若い世代のうちに反スターリン主義が生み出され、「正統マルクス主義」を全面的に否定するトロッキズムの潮流がつくり出された。第二の「危機」とその後に続く大学紛争のなかでは、若い世代は、「正統マルクス主義」の権威から自由に、マルクス主義を構想する機運をつくり出した。第三の「危機」の後は、若い世代は、マルクス主義そのものを相対化して冷静に見つめるか、「正統マルクス主義」の呪縛からすでに解き放たれて自由になっている。
2.どのように「正統マルクス主義」をのり越えるべきか
20世紀の「正統マルクス主義」を、思想的にその時代を共有した人間としてどのように総括するのか。これは、マルクス主義にかかわってきた人間にとっては、大きな、重たい課題である。課題の遂行には、いくつかの道がある。その一つは、「正統マルクス主義」には、個々の点においてマルクス主義からの逸脱があるとしても、それを基本的に正しいものとして擁護しようとする道である。もう一つの道は、「正統マルクス主義」から自由な若い世代と同じように、過去のかかかわりを無視して清算的態度をとったり、あるいは、「自己批判」して「正統マルクス主義」から離れたりする道である。第三の道は、「正統マルクス主義」の否定的な面を主体的にひき受けながら、総体としてそれを内在的にのり越える新しいマルクス主義を志向する道である。
私自身は第三の道を選択するが、第三の道には、レーニンへの評価とマルクスへの還帰の二つが必然的に伴う。「正統マルクス主義」の評価にかんしては、その中心にいたレーニンその人の思想的評価が不可欠であるし、そもそもマルクス主義とは何であるを問い直すためには、マルクスに立ち返ってみる必要があるからである。
「マルクス・レーニン主義」という思想的潮流をつくりあげた責任はレーニンにはない。この呼称の最初の使用例は、レーニンをマルクス主義の「いっそうの発展」(スターリン『レーニン主義の基礎』)とみなすスターリンではないかと思われる。いずれにしても、スターリンとその取り巻き連中によって、自分の主張や理論の正当性をレーニンによって権威づけるために、使用されていくことになる。そのかぎりでは、「マルクス・レーニン主義」は「スターリン主義」の別名ということができるであろう。
それでは、レーニンと「スターリン主義」との関係はどのように理解されるべきなのであろうか。「スターリン主義」にたいするレーニンの関係を問う場合、(1)「スターリン主義」にたいして、レーニンはまったく責任がないという議論もある。悪いのはスターリンだけであるということになる。しかし、「スターリン主義」の哲学的特徴が、徹頭徹尾レーニン哲学に依拠しているところにある以上、このような主張はあまり説得力をもたないように思われる。
それにたいして、「スターリン主義」が批判されるなかで、一方で、(2)「スターリン主義」の問題点として、レーニン哲学を通俗化したところにあるということがしばしば指摘され、他方では、(3)「スターリン主義」にレーニンも責任があるということが強調されることにもなった。「ロシア・マルクス主義」という呼称は、(3)の立場を取ることになる。
私は、これら3つのスタンスのいずれをも継承するものではない。「スターリン主義」はレーニンの哲学を通俗化してできあがったものであると思うが、そのことにレーニンは責任が有るとも、無いとも単純にはいえないからである。だからといって、(2)の立場を肯定するのかということになると、そうも単純にはいえないのである。なぜなら、「スターリン主義」はレーニンの哲学を通俗化したものであるという(2)の立場は、それだからこそ、「スターリン主義」にレーニンは責任がないという立場と、ストレートに通俗化されうる余地をレーニンの哲学は内包しているという立場に分かれるからである。
私は、後者の立場から、「スターリン主義」とレーニンの関係を問うことにする。なぜなら、レーニンの哲学には、マルクスの思想に照らしてみて肯定されるべき思想内容がそのままのかたちで否定的なものに転化する両価性(ambivalence)を有しているからである。
レーニンの哲学について語るとき、レーニン自身が『唯物論と経験批判論』で、マルクス主義以前の唯物論を含め、「すべての唯物論の基本的立場」「初歩的な問題」について発言したと断っていることを肝に命じておく必要がある。唯物論一般の原則を強調したレーニン自身の理論は、それとして間違いではないとしても、それを多少とも絶対化すれば、そのままで通俗化されうる一面を有していたのである。
ここでは、「スターリン主義」にたいするレーニン哲学の関係を全面的に分析する場ではないが、レーニンの両価性が明らかとなるいくつかの点について言及しておきたい。
第一に、反映論の問題である。反映論は、『唯物論と経験批判論』でレーニンが唯物論的認識論の核心として主張したものである。この主張は、「観念的なものは、頭のなかで置き換えられ、翻訳された物質的なものにほかならない」(『資本論』第二版後記)と述べたマルクスの見地や、エンゲルスの「模写」説と一致するし、哲学史的には、例えば、判断と対象との一致が真理であるとみなしたアリストテレスの真理観とも重なりあうものである。それゆえ、レーニンの反映論は、認識過程における構成の契機に触れていないとしても、唯物論的認識論の原則的見地を主張したものとして、肯首されうるものなのである。
しかし、他方で、レーニンの反映論には、あいまいさがつきまとう。彼が、『唯物論と経験批判論』のなかで、「意識は一般に物質を反映する」という唯物論の命題と「社会的意識は社会的存在を反映する」という史的唯物論の命題との「じかに切り離しがたく結びついているのをみないのは不可能なことである」述べているのは、両者を同一視したボグダーノフにたいする批判でもあるが、意識―物質の反映関係という認識論的問題と社会的意識―社会的存在という意識の社会的被制約性の問題(土台―上部構造論的問題)とを混同させることにもなっている。反映概念が認識論の枠を超えて用いられることになる結果、芸術論においても、芸術においてもっとも重要な「表現」の契機が二次化された「社会主義リアリズム」論がはびこることになった。
このように、レーニンの反映論には、肯定的側面と否定的影響をもたらした側面との両価性がつきまとうのである。
第二に、マルクス主義「哲学のレーニン的段階」(私は、この表現が、スターリン的観点からレーニンの思想をマルクスの思想の「発展」とみなしている点で、「マルクス・レーニン主義」と同じ内実を有していると考えている)の特徴づけの一つとして語られる「認識論としての弁証法」あるいは「論理学・認識論・弁証法の同一性」の命題がある。後者の命題は、レーニンの『哲学ノート』の「ヘーゲル『論理学』の摘要」のなかに書き込まれたものである。これは、レーニンがヘーゲル『論理学』を研究するなかでつかみ出した命題であるが、哲学史的にみても、例えば、認識論の書であるカントの『純粋理性批判』においては、「超越論的論理学」や「超越論的弁証法」が考察されているように、存在論と認識論との関係を考察するさいに、これら三者の関係が問われてきたのであり、レーニンの問題提起は的をついており、重要である。
しかし、レーニン自身が『哲学ノート』で、論理学・認識論・弁証法について、「この三つの言葉は必要ではない、これらは同一のものである」と述べたことも手伝って、マルクス主義「哲学のレーニン的段階」では、三者は完全に同一視されてしまうことになる。その結果、弁証法的唯物論は形而上学化されてしまうことになった。なぜなら、認識論に媒介されない存在論は、形而上学化されるからである。実際に、ミーチンらは、論理学・認識論・弁証法の区別なき、まったき同一性を主張することによって、レーニンの卓見と思われていたものをドグマ化した教説に転化させてしまったのである。
第三に、哲学の「党派性の問題」がある。唯物論と観念論という哲学的対立は、その呼称を用いるかどうかを別にして、内容的には古代からあった哲学的立場の対立である。マルクスは唯物論の立場を取るし、階級性の指摘もマルクスの思想にもとづくものであり、レーニンの観点は、明らかに、マルクスの観点を継承したものである。
しかし、他方、マルクス主義「哲学のレーニン的段階」では、ミーチンらは、哲学的党派性や階級性といったレーニンの視点を一面的に絶対化して、もっぱら階級性を基軸にしてのみ科学・文化・宗教などを評価したため、「資本主義文化を受け継ぐことなしには、われわれは社会主義を建設することができない」(「ロシア共産党第8回大会への中央委員会報告」)と述べたレーニンの視点とは異なり、それぞれの固有の内容に即した評価をおこなうというよりも、階級の視点だけで評価して事足れりとす
るいわば「階級関係還元主義」といった矮小化された一面的評価に陥ったのである。
このように、レーニンは、哲学的には、マルクスの思想を継承している側面と、そのままのかたちで簡単に通俗化されうる側面との両価性の面をもっているために、単純にレーニンの思想をマルクスの思想の「いっそうの発展」とみなすことは適切ではない。
3.マルクスへの還帰と私のアプローチ
レーニンの思想が両価性をもっており、マルクスの思想の「いっそうの発展」とみなすことができないとすれば、レーニンの視線を離れて、改めてマルクスの思想に還帰して、マルクスの哲学が何であるかを問い直す必要がでてくる。そのさいには、私は、まず次の3点のことを考慮したいと考えている。
第一に、レーニンが読むことのなかった、マルクスの『経済学・哲学手稿』や『経済学批判要綱』、エンゲルスと共同執筆した『ドイツ・イデオロギー』、エンゲルスの『自然の弁証法』といった重要な古典を含めて、トータルにマルクスやエンゲルスの思想が問い直される必要があることである。
第二に、「正統マルクス主義」を「補完」している「西欧マルクス主義」との対話をおこなうことが必要となる。「西欧マルクス主義」は、マルクスの思想をエンゲルスやレーニンの思想あるいは「正統マルクス主義」に対立させたり、これらとの一定の距離を取ろうとするものであるが、必ずしも自覚的に一つの思想的潮流として纏まっているわけではない。なかには、ルフェーブルのように、初期マルクスのヒューマニズム(人間主義)を高く評価する思想家もいるが、マルクスに帰る場合には、批判を含めた「西欧マルクス主義」との対話が不可欠となる。
第三に、1960年代後半から、「マルクス・レーニン主義」に批判的な角度から、「マルクス学」といわれる、マルクスやエンゲルスの文献学的研究にもとづいた精緻な議論がおこなわれてきているが、そのような議論との対話や媒介を避けることもできない。一例をあげると、『ドイツ・イデオロギー』の「持ち分問題」として、同書においてマルクスとエンゲルスとの思想上の差異や対立をほじくり出そうという研究もおこなわれてきたが、マルクスに還帰する場合は、このような研究にたいして、つねにどのような態度をとるかということが問われざるをえないのである。
私自身は、マルクスの哲学の基本的性格は、『経済学・哲学手稿』や「フォイエルバッハにかんするテーゼ」『ドイツ・イデオロギー』『経済学批判要綱』などで展開されている「実践的唯物論」にあると考えている。「実践的唯物論」は、レーニンが展開した哲学の党派性や反映論とただちに抵触するものではないと思うし、レーニン自身、ルカーチが評価したように、実践することの思想家であったと思うが、レーニン自身が「実践的唯物論」の見地に自覚的に立脚しているとみなすことはできないであろう。
「実践的唯物論」については、その呼称を日本で戦前最初に用いたのは故森宏一氏であり、戦後では日本共産党の名誉議長である宮本顕治氏ではないかと思われるが、「実践的唯物論」をマルクスの思想的見地として体系的に展開したのは、故芝田進午氏である。また、「西欧マルクス主義」や中国・ベトナムでもマルクスの思想として「実践的唯物論」は注目されているが、その内実はかならずしも同じではない。「実践的唯物論」という呼称を用いることで共通しているのは、変革の思想という観点であろう。
私自身は、「実践的唯物論」は弁証法的な唯物論、とりわけ、唯物史観や主体―客体および主体―主体の弁証法に立脚していると考えるが、そのさいの基本的な柱として、次の3点のことが重要であると考えている。
第一に、「実践的唯物論」は、環境の視点を内包しなければならないと、考えている。なぜなら、近代の工業化のなかで大規模な環境破壊がひき起こされているもとで、自然変革を主張してきた「実践的唯物論」が環境破壊に組するのではなく、環境保全の思想であることを明示しなければならないし、明示できると考えるからである。
第二に、「実践的唯物論」は疎外論を内包していなければならないと考えている。なぜなら、「実践的唯物論」が変革の思想である以上、資本主義的現実が抱えている否定的現象を克服されるべき疎外としてとらえる視点が重要になるからである。
第三に、「実践的唯物論」は、世界にたいする認識的態度や実践的態度だけではなく、両者を媒介している価値的態度を内包するものである。なぜなら、「実践的唯物論」が変革の思想であるとすれば、どのように世界とかかわり、どのように世界を変革していくのかという価値的態度が問われることになるからである。
私自身は、こういった観点から、21世紀のマルクス主義のあり方について考えていきたいと思い、若い人たちと研究会を始めたところである。