メディア掲載・関連書評 etc.7(創風社 Web紹介分のみ)
高橋満著『社会教育の現代的実践』月刊社会教育 2004.
『反戦アンデパンダン詩集』(韓国『詩評』2004春号)
村上善男著「『東北という劇空間』を読んで」岡本敏子 評 2004/7/9 陸奥新報
日本科学者会議「教育基本法と科学教育研究委員会」編『教育基本法と科学教育』(04/8/11up『日本の科学者』vol.39)
村上善男著『東北という劇空間』「志巧らの風土性考察」河北新報04年9月6日
高橋満著『社会教育の現代的実践―学びをつくるコラボレーション―』二〇〇三年八月 創風社/一、七〇〇円+税
「地域をつくる力」を現代日本の地域社会にいかに蓄えるか。この戦後日本の社会教育が一貫して追及してきたテーマを、現代にいかに具現化するか。そのことを追求するうえで、現在の日本の生涯学習・社会教育施策はいかなる問題をはらんでいるのか。これらの実証的・、理論的解明こそ、本書が追求する第一のテーマである。
そして、この課題に、高等教育機関としての大学はいかに関われるのか。国立大学の独法化など大学改革に厳しさが増す今日にあって、大学はいかにあるべきか。このことの実践的追求が本書の第二のテーマである。この二つのテーマのもと、本書は次のように構成されている。
序 社会教育実践の現代的課題
第一部 市場型学習社会論を越えて
1 社会教育行政の変容の意味
2 社会教育の政治経済学-学習は私的消費か
3 学びの協同性と公共性
4 社会教育の政治経済学-国家・市場と市民参加
5 自由主義的改革・NPOと生涯学習
6 新しい「地域の教育力」としての市民活動
第二部 大学と地域のコラボレーション
7 福祉国家の変容と継続高等教育
8 新しい学びの空間をつくる「エスプ・カレッジ」の挑戦
9 地域づくりと社会教育実践
10 社会的排除の構造と社会教育実践
11 地域と歩む東北自由大学
12 高等教育改革と新しい大学像-国際的水準での議論を求めて
本書の特徴としてまず第一にその現代社会教育・生涯学習政策に対する理論的批判の鋭さ、論理的叙述の巧みさである。これまで新自由主義的政策による社会教育行政へのインパクトに対しては、すでにさまざまな論者が批判的検証を行なっているが、その内容は、その経済政策としての性格を反映し、公共経済学の周辺領域で蓄積されたロジックの援用が支配的であった。それに対して本書では、著者自身が依拠する社会学や政治学で蓄積された理論が多用されながら、先行批判には見られなかった、実に説得力ある論理が展開されている。パットナムの提唱する社会関係資本(social capital)概念、ペストフによる社会的サービスの主体をめぐる整理など、これまでの社会教育研究にもち込まれることのなかった論理的枠組みによって、現代社会における民主主義追求の観点から、地域教育実践の現代的意義と課題を確認する理論的手法が提起された意義は大きい。
第二は、近年その可能性と危険性の両面が注目されるNPOの事例分析と分析視角の提起である。本書では、近年の政府によるNPOへの期待の内実が「社会秩序政策」にあることを明らかにしたうえで、現段階のNPOを@補完型/官僚主義モデル、A依存型/消費者主義モデル、B協同型/パートナーシップモデル、C対抗型/運動モデル、の四類型で整理し、@Aに見られる市場型NPOの推進には批判的立場にたちつつも、BのタイプのNPOには、社会関係資本として地域社会を豊かにする信頼や参加といった価値やネットワークを形成する契機となることを期待している。NPO萌芽期といえる現段階での論点整理のための類型化としては、きわめて簡潔かつ的確な整理といえよう。
第三に、本書は単に現状を理論的に説明・批判するに留まらない。「その地域社会に内在する人的資本、組織的資源、人や組織間のネットワーク化をはかりつつ、地域社会の諸問題の解決やウェル・ビーイング(well-being)の実現をはかる地域の力をたかめるために、東北大学に在籍する著者はこの間、大学人の立場で、さまざまな社会的実験に果敢にチャレンジしてきている。本書は、それらの実験から導き出された「学びをつくるコラボレーション」が生み出されるメカニズム探求の中間的総括でもある。その意味で本書は、著者らの「現代との闘い」の記録でもある。
ここに描かれているのは、大学職員組合を母胎に設立され地域に学びの機会を拓く「東北自由大学」、この東北自由大学と塩竃市教育委員会の共催による市民大学「エスプ・カレッジ」、塩竃市の長期総合計画策定への市民参加から生み出された「塩竃まちづくり研究所」、増加する日系ブラジル人の社会的排除を課題とした市町村社会教育事業を紡ぎ出す取り組みなど。膨大なエネルギーが投入されているに違いない、市民の学びや、市民と行政の接点に直接大学が関わるこれらの果敢な挑戦が、本書後半ではあくまで冷静に分析され、そこでの経験知を結晶化している。
ところで、ここで見られる、地域教育計画の現代的展開を見通すうえで市町村社会教育行政に加え、NPO、そして大学の三者を主要アクターとして位置づける視点は、「NPOの教育力」解明をめざす近年の研究が注目される佐藤一子氏(東京大学)の分析視角と共鳴している。本書は、そのフレームを国家論的観点から理論的に深めるとともに、実践論的に大学の可能性を模索した書といえよう。
本書の魅力はそればかりではない。一般に、社会教育研究における事例分析の「雑さ」が指摘されることが少なくないが、社会学のトレーニングを経由した著者による卓越した事例の描き方からは、関連諸科学に響くだけの研究水準をつくりだすうえで、社会教育研究が克服すべき課題も投げかけられているように思われる。
そしてなによりも、それぞれの論考から垣間見られる、「理論」と「実践」と「実証」を誠実につなげようとする著者の研究姿勢からは、社会教育というテーマに向きあう研究者としての、著者流の筋の通し方を強く感じた。本書が発するメッセージは、鋭く、暖かく、重たい。
石井山竜平(静岡大学) 月刊社会教育 2004.1
『反戦アンデパンダン詩集』が韓国の『詩評』2004春号に紹介文、石川逸子さんの詩の翻訳が載りました。
『東北という劇空間』を読んで
岡本敏子
「東北という劇空間」、帯に、裡なるドラマ、とある。
村上善男でなければ書けない、豊饒な、繊細な、透った音が響きあうこの空間に惹き寄せられ、躰の深い奥がふるえる。今日でも、ニューヨークで認められることが美術家の勲章だと思っている人は多い。それと同じ図式が国内では東京だ。グロテスクな中央志向。
そんなヒエラルキーに振り廻されるくらいなら、芸術なんかやめちまえ。岡本太郎は心底そう思っていたし、それを貫いて行動した。
だが、暗黙の差別意識は根強い。岡本太郎のように貫いてゆくことは、実は至難の業だ。そういう風土の中で、村上善男の存在は確固として、重い。
東北の人だから、彼の仕事が意味を持っているのではない。国際的な一人の芸術家として、すっくと立っている。画業も、書くものも年々深みを増し、目を離せない。
しかし、彼がずっと東北にいて、盛岡・仙台・弘前と居を移しながら、東北という厚みのある風土、文化、生活感をを見つめ続け、生き続けて来たということは、やはり大きな重みを持っていると思う。
村上さんは、若い頃、東京に出ようと思った。そのとき岡本太郎に「お前はそこで闘え!」と言われた。それに殉じたのだと言っておられる。岡本太郎は日本で闘うことを己に課した。それに殉じた。その辛さも、空しさも、愛憎ともに生身をしぼるような切なさも、よく解っている。だからこそ、こいつは、と認め、信頼する若き友、村上善男に決然としてそう命じたのだ。
村上さんはそれに応えた。立派に、深く、ひろく、東北を生きた。そのひろがり、深まりゆく姿がここにさし出されている。さまざまの事象、人物、時の話題を通して、柔軟で、誠実で、知的でありながら熱い、村上さんの人柄が浮かびあがる。
パリでも、ニューヨークでも、この人柄は生きたかもしれない。だが生まれ育った、先祖の思い出のある土地、しかも縄文、蝦夷以来の、分厚い生命力のうごめいている東北と抱きあって暮らしたことで、村上さんの、彼らしさは一そう彫りを深め、魅力を増したように思えてならない。少なくとも日本人であるわれわれにとっては、有難く、幸運なことであった。
村上さんの作品は勿論、思考も、感性も、東北ナショナリズムではない。その清々しさが五十年近い在住を通じて、ずっと保たれていることは嬉しい。
二〇〇〇年に世に出た『赤い兎-岡本太郎頒』という村上さんの本。カバーには、岡本太郎の描いた若き日の村上善男の顔が、大きく、真正面をにらんでいる。力強く、圧さえるような存在感がある。
まだ若かった、痩せた、一介の青年だったその頃の村上さんより、そのデッサンははるかに堂々として、格が高い。男だ。
今になってみると、岡本太郎はこういう風に村上さんを見ていたんだな、ということが解る。まさにいま、村上善男はこういう人になっているのだから。
(岡本太郎記念館館長)
※村上善男著『東北という劇空間』は四六判、三三七ページ、本体価格三二〇〇円、創風社(エ03-3818-4161)発行。2004/7/9 陸奥新報より
日本科学者会議教育基本法と科学教育研究委員会編
『教育基本法と科学教育―子どもと教育基本法を守るために』
憲法の実質的な改悪の声が喧しい. 同時に教育基本法改悪もまた声高に叫ばれている.このような時期に,JSAが大会決定で「教育基本法と科学教育研究委員会」の設置を決定していたことはアンテナの鋭さという意味で重要なことであった.同研究委員会は精力的な研究活動を展開し,短期間に報告書を提出して課題を世に問うにいたった.これが本書である.
序章を含む八つの章の題名が,内容を端的に表していると思われるので,以下に列挙しよう.
教育基本法と科学教育をめぐって
教育基本法成立と科学教育構想
敗戦直後の科学教育政策と教育基本法
民主的精神と科学的精神を目ざして
教育基本法「改正」論議と科学教育
教育基本法と自然科学教育
教育基本法と小学校環境教育実践
教材編成の基本を教育基本法から考える
以上である.このようにすぐれて理念的な問題が,いずれも現場の教育課題に即して検討されているところに特色がある.「民主的精神と科学的精神を目ざして」という章などは科学者でありたい人間にとって初心にかえる思いであった.筆者などは科学教育について個々に発言することはあっても,教育基本法との関連で論じることはなかったので,おおいに教えられた.科学教育の個々の問題もさることながら,戦後の文部省や教育委員会の多くが如何に教育基本法をないがしろにしてきたかを,それが子供達の科学への憧れを如何に阻害してきたかを,私達はもっともっとしつこく系統だてて糾弾すべきであった.
夏休みの読書にあるいは秋の夜長の読書に御一読を奨めたい.同時に近い将来,教育する側に身を置くことになる,大学生や高校高学年生のセミナーのテキストに使ったらいいと思う.彼らが置かれた科学教育を問い直す契機にし,もし科学教育にたずさわることになれば確固とした視点を持つことが出来るにちがいない.
本谷 勲・元東京農工大学(創風社,1785円)
志功らの風土性考察
「(棟方)志功の作品から方言が響き、轟(とどろ)いてくる、そう思わせる」。才能豊かな数多くの芸術家を輩出した青森県津軽地方。弘前大名誉教授で美術家の村上善男さん(七一)=盛岡市在住=は「東北という劇空間」で、風土にはぐくまれた彼らの作品世界に迫った。
作品世界つづる
村上さんは今年三月まで弘前市に住んだ。本書は津軽出身、またはゆかりの美術家を対象に、作家と郷土とのかかわりや、作品に見られる風土性をつづったエッセーを中心に、講演や対談を再録した。村上さんが彼らの作品に触れた当時の心情も盛り込み、二十年住んだ弘前時代を総括する内容ともなっている。
棟方志功をはじめ、版画の今純三、前衛美術の斎藤義重らがいる。「彼らの『内面の劇』にひかれ、制作を重ねてきた」と言う村上さん。棟方志功は、自らの作品を「ねぶたや津軽の凧(たこ)絵などから生み出された」と語った。その言葉を受け、美術家を形成するのは生地の環境であり、そこでの幼・少年体験だと断言。志功の世界は津軽でこそ生まれた、と述べている。
東北から多くの影響を受けた岡本太郎(川崎市出身)との交流も印象深い。岡本に私淑し、上京のたびに岡本のアトリエに足を運んでいた村上さんは「上京して制作に専念したい」と相談した。だが岡本から「お前は、東北で闘え」と厳しく言われた。当時その意図は分からなかったが、後年岡本が書いた東北論を読んでその意味を推し量ることができたという。
村上さんは盛岡市出身。一九五〇年代は二科展に実験的な作品を出品。六一年脱退、その後は個展を中心に作品を発表した。仙台市の三島学園女子大(現在の東北生活文化大)、弘前大教授を経て弘前大名誉教授。創風社03(3818)4161=三,三六〇円。
河北新報04年9月6日
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